sannigoのアラ還日記

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遠江の天白神社巡り⑳掛川市南に鎮座する『挙張神社』の境内社『天白神社』。ご祭神は猿田彦命

こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

今回の遠江の天白神社巡り⑳で参拝(2025/4/5)させていただいた『天白社』は、『挙張神社』の境内社です。

 

応永年間(1394年〜1427年)に勧請されたものとされますが、詳細は不明となっており、当初の『挙張神社』は素戔嗚尊を祀る小さな祠だったそうです。

 

再建は安土桃山時代の天正11年(1584)霜月19日とのことで、つまり現在の本殿そのものが約440年もの歴史を持つ古社なんです。江戸時代には、掛川藩主の崇敬を受け、社殿も整備され、明治維新後の昭和10年には、拳張神社の社格は村社に列格されました。

 

そして、境内社の『天白神社』ご祭神は猿田彦命というから興味深いではありませんか?これまで20社以上の天白さまをお参りさせていただいて、やっぱり気になるのはご祭神が瀬織津姫だったり、猿田彦命であったり、宇加之御魂神、倉稲魂神、天白羽大神、太田命とバラバラなことです。

 

長い歴史の下、とある神様をお祀りしていたのに、いつの間にか次の神様が上書きされ、さらにほかの神様が上書きされるというような深い意味がありそうな天白さま。

 

今回から掛川周辺の天白さま巡りが始まります。まずは『挙張神社』から始めましょう。

 

『挙張神社』の境内社『天白神社』。ご祭神は猿田彦命

 

 

拳張神社(擧張神社) 境内社天白神社

 

 

 

鎮座地:静岡県掛川市南2-24-11

 

《アクセス》

 

電車・バス:JR[掛川駅]から徒歩約10分
      天竜浜名湖線[掛川駅]から徒歩約10分
車:東名高速道路[掛川IC]より約2分
駐車場:ありません
御朱印:不明

 

ご由緒

 

㊧挙張神社の鳥居 ㊨由緒書き

 

㊧拝殿 ㊨本殿

 

 擧張神社

祭神  主祭神  須佐之男命
    八幡神社 誉田別命
境内社 神明神社 天照大神
    天白神社 猿田彦命
当神社は応永年中(1394年〜1427年)勧請したものと古書により推定されるが詳らかならず棟札の称すところによれば天正11年(1584)霜月19日に再建したものなり
現在の御本殿がすなわち之なり
境内社の神明神社及び八幡神社に当神社と同年月勧請したこと明らかなり
境内社 天白神社は延享3年9月吉日に勧請し当地上張字神前に鎮座せり大正6年4月当神社に合祀せり
昭和10年10月15日村社に昇格する昭和44年7月1日神社庁より九等級に認証さる
この神様は人の身に起こる災厄と疫病を〇〇除き長寿を給う御神徳あらたかであり
例祭日 10月10日

(境内由緒書きより)※一部不鮮明のため解読不能で間違っている可能性があります。

 

境内の由緒書きにもあるように、応永年間(1394年〜1427年)に勧請されたものとされますが、詳細は不明となっています。当初の『挙張神社』は素戔嗚尊を祀る小さな祠だったそうです。

 

再建は棟札から安土桃山時代の天正11年(1584)霜月19日とのことで、つまり現在の本殿そのものが約440年もの間、この地に鎮座している長い歴史を持つ古社であることがわかります。江戸時代には、掛川藩主の崇敬を受け、社殿も整備されたとのこと。明治維新後の昭和10年には、拳張神社の社格は村社に列格されました。

 

ご祭神

 

㊧鳥居 ㊨天皇陛下御即位記念事業の碑

 

素戔嗚尊/須佐之男命(すさのおのみこと)

天照大神(伊勢神宮)の弟神で、嵐・暴風雨の神、荒ぶる海を司る神。厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神として信仰を集めます。

荒々しい悪行で高天原から追放されますが、出雲へ降りヤマタノオロチを退治しクシナダヒメと結ばれるという正義感が強く知恵も回る一神です。

 

ご利益

 

㊧拝殿 ㊨拝殿に掛かる扁額

 

厄除、除災招福、縁結び、安産などのご利益があるとされますが、祭神である素戔嗚尊は、古事記や日本書紀に登場する神様で、八岐大蛇を退治した英雄として知られているためか、農業や漁業、商売の神様としても信仰されています。

 

例大祭

 

㊧「御即位記念為石垣五坪築」の碑 ㊨皇太子殿下ご成婚記念

 

例大祭は毎年10月10日に行われ、神輿渡御が行われたり、厄除けや開運を祈願する伝統芸能の「獅子舞」や、人々の平安を祈願する神楽も奉納されます。また挙張神社の氏子の五屋台も引き回しなども行われているようです。

 

境内社

 

左から「天白神社」、「神明神社」、「八幡神社」

 

境内の由緒書きに記されているように、『挙張神社』には3社の境内社が鎮座しています。左から「天白神社」、「神明神社」、「八幡神社」です。

 

㊧天白神社 ㊨神明神社、八幡神社

 

八幡神社


ご祭神:誉田別命

ご由緒:挙張神社と同じく応永年間(1394年〜1427年)に勧請したことは明らかだそうです。

 

神明神社


ご祭神:天照大神

ご由緒:挙張神社と同じく応永年間(1394年〜1427年)に勧請したことは明らかだそうです。

 

天白神社


ご祭神:猿田彦命

 

ご由緒:延享3年9月吉日(1746年)に勧請しこの地「上張字神前」に鎮座され、大正6年4月(1917年)こちらの挙張神社に合祀されたものとのこと。

 

参照元:神社人 - 拳張神社(擧張神社)

 

㊧御神木 ㊨手水舎

 

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最後に

 

今回の遠江の天白神社巡り⑳では、掛川市南に鎮座する『挙張神社』の境内社『天白神社』を参拝させていただきました。ご祭神がいろいろで謎多き天白信仰ですが、こちらのご祭神は「猿田彦命」で導きの神です。

 

これまでも何度も解説していますように『天白信仰』とは、本州のほぼ東半分にみられる信仰形態で、その分布は長野県(旧信濃国)、静岡県(旧三河、遠江、駿河)を中心とし、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっています。

 

山田宗睦著『天白紀行』では、”天白神の起源を、神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の祭神、天ノ白羽にもとめ、伊勢神宮のてんはくの歌、諏訪大社の天白神楽歌の呼応を軸にして、伊勢、三遠、信濃、駿河の天白圏ができたと考えている。”と書かれています。ですが、”起源の伊勢では麻続氏祖神だが、分布した天白圏内の各地ではその必要に応じて多様な神格をつけ加え変容した。神は鋳型でつくったようにいつどこでも一様ではない。(中略)天白は多様な神格を付加されて地域住民の神となったと私はみているが、いちばんの基本は『治水・農耕』の神である。とも言っています。(『天白紀行』P218)

 

こちらの『天白神社』のように猿田彦命をお祀りしている遠江の天白の神社はといえば、磐田市池田の『天白神社』、御前崎市下朝比奈の『天白神社』などがあり、磐田市堀之内の『天白神社』では、猿田彦の子孫・えい孫ということになる「太田命」がご祭神です。(太田命は猿田彦神の別名ともされるようです)

 

上記のような猿田彦を祀る「天白神」については、天竜川などの氾濫などにより農耕のためのは治水が大事な地域でもありますので、海や川を鎮める神という性質が強いのかなと感じています。

 

今回からしばらく掛川に鎮座する『天白神社』の記事が続きます。興味深いのは、もとは天白社で今は「猿田彦神社」となっている神社が掛川市高瀬に鎮座しています。猿田彦命と天白の関係はいかに?というところではないでしょうか?

 

最後までお読みいただきありがとうございます。では、またです。