sannigoのアラ還日記

趣味の神社巡りを記録しています。

かつて織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社』

こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。

先回の『羽鳥八幡神社』に続いて、今回もかつて織物に関係した職人が集団で住む町だったと伝わる浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社(はたおりじんじゃ)』を参拝させていただきました。

 

遠江国式内社六十二座、最上郡五座の一座で、織物と関係が深い格式の高い神社です。古来よりこの辺りは綿花の産地として多くの織物職人が住んでいたと伝わります。

 

『服織神社』の由緒書きによると織物をつかさどる神・天穂日命と機織りの機械の神・建御名方命をお祀りしており、創建は元明天皇の和銅元年(708年)になっていますが、実際は644年以降に秦氏と服部氏が機織の女神を祀ったものだったという記事もありました。

 

その記事によると、天穂日命は農耕神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されているため後に勧請され、建御名方命に関しても軍神や農耕神、狩猟神で諏訪大社で祀られいる神さまですから、後にこの地と諏訪が天竜川でつながっていることから勧請されたという可能性もあるということらしいのです。やはり歴史はおもしろい!

 

浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社』

 

 

服織神社(はたおりじんじゃ)

 

 

鎮座地:浜松市中央区豊町2501

 

《アクセス》

 

電車・バス:遠鉄電車[小松駅]から徒歩約48分

車:東名高速道路[浜松IC]より約10分

駐車場:境内に停めさせていただきました

御朱印:不明


ご由緒

 

服織神社(はたおりじんじゃ)は、羽鳥本田と向かい組の鎮守の神であり、延喜式内社として歴史ある神社です。式内社とは延喜式(延長五年、927年)の神名帳に載せられている選ばれた神社のことで、近隣には数少ない格式の高いお宮ということになります。

 

㊧由緒書き ㊨ほころび始めた境内の桜

 

服織神社由緒
当社は、今からおよそ、千二百八十年前 元明天皇の和銅元年(七〇八年)出雲国から、神様をお迎えして造られたといわれている
祭神は「天穂日命」(織物文学の神)と「建御名方命」(織物の機械の神)で、当時は、天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい
当社は、延喜式内神名帳にのせられており、明治八年(一八七六年)郷社に列せられ、八月二十五日の例祭日には、幣帛使(へいはくし)と呼ばれる人が見えて紅白の絹布を献上し、豊西村長はじめ、小学校の児童たちも参列した。
昭和三十年(一九五五年)本殿が改築され昭和五十二年(一九七七年)拝殿が改築された。昭和五十六年(一九八一年)静岡県神社庁より社格十等級に認証されている
平成三年八月吉日
〇〇、〇〇建之、〇〇

(境内由緒書きより)

 

ご祭神

 

天穂日命(あまのほひのみこと)織物・文学の神

日本神話で、天照大神の子。天孫降臨に先立って、葦原の中つ国に遣わされたが、大国主命に味方して復命しなかった。出雲国造らの祖神。天菩比神。

 

建御名方命(たけみなかたのみこと)織物の機械の神


日本神話で、大国主命の子。武神としての性格をもつ。武甕槌神(たけみかづちのかみ)らが葦原の中つ国の国譲りを大国主命に迫ったとき、大国主命の命令で武甕槌神と力比べを行ったが敗れて信濃諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓った。諏訪大社の祭神。

 

こちらの2神をお祀りしているということは、この地域が古来機織りが盛んだったということがうかがえます。

 

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御神徳

 

五穀豊穣

 

お参りしていきましょう

 

鳥居

 

鳥居

 

参道・手水舎

 

㊧参道 ㊨手水舎

 

歌碑

 

㊧歌碑 ㊨境内のようすと『社殿』


社頭月 小栗廣伴
紅葉の夜の 綿もあらはれて 羽鳥の宮に すめる月哉

 

狛犬

 

阿吽の狛犬

 

拝殿

 

拝殿

 

神域と現世を隔てる結界の役割を持つ注連縄、こちらの注連縄は一般的な上位の右方が綯い始め、左方を綯い終りとする張り方です。確か出雲大社の注連縄は逆だった気がします。

 

由緒書きに”出雲国から、神様をお迎えして造られたといわれている”とあるので、何となく出雲大社の注連縄と比べてしまいました。

 

本殿

 

左右からの本殿

 

境内社?

 

境内社でしょうか?

 

手水鉢も灯篭もあるこちらは境内社でしょうか?石塔には”天照宮大神”と刻まれているようですし、手水鉢と灯篭もあります。

 

創建1300年記念樹・御神木

 

㊧創建1300年記念樹 ㊨鳥居横の御神木

 

2008年(平成20年)に創建1300年の記念樹が植えられたようです。やはり創建は由緒書き通り708年(元明天皇の和銅元年)が正しいのかもしれません。

 

鳥居横の大きな木の幹には注連縄が張られていました。多分御神木だろうと思います。


参照元:服織神社 - 浜松の神社仏閣特集 - Do!はままつ

 

機織部とは?

 

 はたおりべ・はとりべと読み、古代日本において機織りの技能を持つ一族や渡来人から構成された部民、およびその活動地域のこと。後にはたおりべ・はとりべの「ベ」音が黙字化し「服部」になったとされ、語源としては羽鳥も同じ意味を持ちます。さらに、服部郷とは上記に因む古代日本の国郡里制の郷の一つを指します。

 

また、先回の『羽鳥八幡神社』の鎮座地について調べたところ、中世には堤防に沿い細長っかった旧羽鳥村一帯に「羽鳥庄」が成立していたとあることを知りました。古代、京都新熊野神社の荘園として拓かれた「羽鳥庄」。その中心に鎮座していたであろう由緒正しき神社がこちらの『服織神社』ということなのでしょうか。

 

旧羽鳥村とは、現在の豊町・豊西町・恒武町(つねたけちょう)・常光町(じようこうちょう)で、恒武村の北、豊田川流域に位置します。

 

境内の由緒書きにも”当時は、天竜川沿いのこの辺には、織物に関係した職人が集団で住んでいたらしい”との文言がありますので、遠江国に入った服部氏が元からここに住んでいた地元の人々に機織の技術を教え、この地に留まっていたことは確かなようです。

 

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長上郡五座に推定される神社 

 

では、こちらの『服織神社』が長上(なかのかみ)郡五座に推定される神社ということで、他の4社も気になります。一覧表にしてみました。静岡県浜松市は略しています。


〇大歳(おおとし)神社・大歲神社(中央区天王町)
           ・蒲神明宮(中央区神立町)
〇邑勢(いふせ)神社 ・邑勢神社(中央区大島町)
〇服織(はとり)神社      ・服織神社(中央区豊町)
〇朝日波多加(はたか)神社    
           ・神明宮   (浜名区内野)
           ・六所神社(中央区半田町)
           ・有玉神社(中央区有玉南町)
           ・蒲神明宮(中央区神立町)
           ・稲荷神社(中央区飯田町)
〇子倉(こくら)神社 ・子安神社(中央区白鳥町)
           ・稲荷神社(中央区飯田町)
           ・子倉神社(磐田市笠梅町)
           ・蒲神明宮(中央区神立町)

 

他にも『服織神社』が4社ある?


グーグルマップで「服織神社」で検索すると、愛知県と三重県にそれぞれ2社同じ神社名の『服織神社』が存在していることがわかります。気になったので、それぞれの服織神社のご祭神・由緒などを記しておこうと思います。

 

・服織神社 愛知県豊川市足山田町滝場31
社伝によると、第21代雄略天皇の朝(457〜90)養蚕機織守護神として、天機姫命を勧請奉祀して服織天神を奉斎したとされています。

 

・服織神社  愛知県一宮市真清田1丁目4-9
真清田神社の境内摂社に『服織神社』があり、ご祭神は「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」で、真清田神社のご祭神「天火明命(あめのほあかりのみこと)」の母神で、別名七夕まつりの織姫「棚機姫神(たなばたひめのかみ)」といわれています。

 

・せんい服織神社
一宮せんい団地の中にある『せんい服織神社』は一宮の真清田神社の境内摂社である「服織神社」の分社です。ご祭神は「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」で機織の神様として古くから尾張地方の繊維産業を守護しています。七夕伝説の織姫と同一神と考えられ、縁結びの神様としても信仰を集めています。

 

・服織神社 三重県津市河芸町久知野1781
もと延喜式内社で、現在地の西方300メートルの処に奉斎されていたが、大字久知野鎮座の八雲神社ほか11社と共に、明治41年4月上野神社へ合祀されました。
ご祭神:大日孁貴尊(おおひるめのみこと)
合祀:誉田別尊、建速須佐之男命、伊邪那美命、木花開耶姫命、大山津見神

 

・服織神社 三重県鈴鹿市御薗町2019
ご祭神:栲機千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)
合祀:息長帯姫命、天児屋根命、国狭槌之命、木花開耶姫命、武御名方命、須佐之男命:大山祇命、大己貴命、伊弉冉命、速玉男命、事解男命、五男三女神、誉田別命、菅原道真、武内宿禰,
御神徳:参拝者の皆様の願い事全般
由緒:当社の創祀については不詳ですが、江戸時代には八幡社あるいは神明の社と称され近郷の崇敬を集めていたとされます。

 

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最後に

 

かつて織物に関係した職人が集団で住む町だったと伝わる浜松市中央区豊町に鎮座する『服織神社』についていろいろ調べてみました。

 

①「遠江国式内社六十二座、最上郡五座」の一座であり由緒ある神社。古来よりこの辺りは綿花の産地として多くの織物職人が住んでいたと伝わり、織物と関係が深い格式の高い神社であること。

 

②境内の由緒書きでは、ご祭神は『服織神社』の由緒書きによると織物をつかさどる神・天穂日命と機織りの機械の神・建御名方命をお祀りしており、創建は元明天皇の和銅元年(708年)とされているが、実際は644年以降に秦氏と服部氏が機織の女神を祀ったものだったという記事もあった。

 

③中世には堤防に沿い細長っかった旧羽鳥村一帯に「羽鳥庄」が成立していた。古代、京都新熊野神社の荘園として拓かれたのが「羽鳥庄」で、その中心に鎮座していたのがこちらの『服織神社』だということ。

 

④服職神社参道脇にある祠の中に「かなきんさまの宝篋印塔」が祀られているそう。関西形式の宝篋印塔。石材は砂岩。14世紀半ば頃の造立と浜松市HP「中世の石塔の調査」にあるのですが、どこの祠のことかわからず不明のまま。

 

結果、歩いて約9分の場所(浜松市中央区豊町)に鎮座する『羽鳥八幡神社』でも登場した古代京都新熊野神社の荘園として拓かれた「羽鳥庄」に鎮座する神社なのですが、”永暦のころ(1160年)、後白河上皇の御願により、熊野社を模して京都に建てられた新熊野社に寄進された多くの諸国荘園の中に、遠江国羽鳥庄の名がみえる”(浜松市史 古代編)とありますので、創建年代はそれ以前ということになります。

 

素人なりに考えて、飛鳥時代に秦氏と服部氏がこの地に入ったとすれば、由緒書きでの創建年代は”元明天皇の和銅元年(708年)”、もしくは冒頭で紹介した”644年以降に秦氏と服部氏が機織の女神を祀ったものに機織の女神を祀った”という内容のどちらもありそうに思えます。

 

式内社という事実から考えれば、延喜式(延長五年、927年)の神名帳に選ばれて載せられている神社なわけですから、とにかく927年には存在した歴史の古い由緒ある神社ということは間違いないようです。

 

秦氏と服部氏が遠江にやってきて機織りの技術を教えてくれたという歴史について、もっともっと知りたくなってきました。そこに「天白」が絡んでくるかは不明ですが・・・。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。では、またです。